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吉弘神社

TEL. 0977-24-6636

〒874-0910 大分県別府市石垣西6-6-36

吉弘神社

新着情報

○ 正月祈願予約受け付けております。お問合せ下さい。

○ 平成28年 厄年表   
                                        

社務所新築並境内整備事業奉賛会より
   この度、ご奉賛賜りました皆様におかれましては、誠に有り難うございました。
  奉賛会におきまして精一杯の奉賛を計画し、皆様のお陰をもちまして多額のご浄財を賜ることが出来ました。
  しかし期間内には目標金額には達し得ず、期間を延長することになりました。
  経済情勢の厳しき折、まことに恐縮ながら、ご敬神の念厚き皆様方にお縋りするほかなく、一人でも多くの方々に
  ご理解とご賛同を頂き、吉弘神社の永遠の奉護に絶大なるご支援ご奉賛賜りますよう伏して懇願申し上げます。
   また、すでに完納頂きました皆様、信徒の皆様並びにご縁のある皆様方には更なるご協力を得なければ完成に
  至らないのが現状です。
  度重なるお願いで大変恐縮ではございますが、ご猶予がございましたらご協力の程、謹んでお願い申し上げます。
   最後に、皆様方におかれましては、大神様の御神徳により、ご健康ご多幸でありますことをご祈念申し上げます。
 
                                   平成27年3月8日
                      吉弘神社奉賛会



社務所新築並境内整備事業奉賛会

          趣   意   書

吉弘神社は慶長五年(一六〇〇年)大友義統と黒田如水(官兵衛)の戦い《石垣原の戦い》で活躍、戦死した「吉弘嘉兵衛統幸公」(よしひろかひょうえむねゆきこう)を御祀りする神社です。統幸公は豊後国国東 都甲荘で「吉弘鎮信」の長男として生まれ、大友氏の家臣でしたが、天正二十一年(一五九三年)に大友氏が改易、一時、豊前国中津の黒田如水に招かれ、柳川城主・立花宗茂の下へ身を寄せます。慶長五年(一六〇〇年)、関ヶ原の戦いが起こると、統幸公は大友家の旧恩に酬いようと立花家を暇請いし、前当主・大友義統に東軍加担を進言しますが、義統は聞き入れず西軍に加担することになります。そして、豊後国奪還を図って義統が豊後に攻め込んだ際、細川家の松井康之が守る杵築城を攻め、二の丸まで落とすも黒田軍の援軍が近づいてきたため攻略を断念。黒田如水の軍勢と豊後・石垣原で激突しました。《石垣原の戦い》統幸公は敗戦濃厚な大友軍に忠義をつくし、最後は参拾余騎で敵陣に突入、戦死した勇敢な武士であったといわれております。住民たちは、統幸公を称え偲び寛永九年から十年頃、石祠を建てました。その祠に詣でると、猛将の威力で難病も平癒すると、参拝が絶えなかったと言われています。そして大正の時代、吉弘氏の後裔や住民有志により本殿・拝殿が造営され、現在の拝殿は平成十三年に造営されました。その折、御協力いただきました皆様には厚く御礼申し上げます。しかし、日頃から地域住民の皆様に参拝頂いている本殿・拝殿も、春秋の大祭を行うぐらいの事しかできず、その他の整備が必要な状態となっております。統幸公の忠義の心、勇敢な精神は、今の日本人に足りない「絆」や「心の強さ」に結びつくものがあります。その日本の心、「大和魂」を伝え残さなくてはなりません。その為には、皆様の集まりやすい環境が必要であると考え、この度、神社行事、諸行事の参集の場として参集殿を兼ねた社務所の新築、そして参拝環境を整えるため境内整備工事を計画しました。(平成二十七年春に着工を予定。)今まで以上に、皆様に親しみをもって頂き、そして御参集頂ければと思っております。経済情勢の厳しき折、まことに恐縮ながら、ご敬神の念厚き皆様方にお縋りするほかなく、一人でも多くの方々にご理解とご賛同を頂き、吉弘神社の永遠の奉護に絶大なるご支援ご奉賛賜りますよう伏して懇願申し上げます。                      
                           
                              平成二十六年四月吉日

                  吉 弘 神 社 奉 賛 会            

詳細はこちら《趣意書(PDF)》からご確認ください。 

ご賛同、ご奉賛頂けます方はご連絡下さい。振込用紙を送付させて頂きます。
何卒宜しくお願い致します。
0977−24−6636(事務局 内藤)



御 祭 神

吉弘嘉兵衛統幸公

御 神 徳

吉弘公の勇猛さで病気・災い事をふきとばし、健やかでいられるといわれています。

御 社 殿

吉弘神社の本殿(石祠)は寛永9年から10年頃、拝殿は嘉永7年9月に造営されたのが始まりです。
その後、大正11年9月統幸公の子孫吉弘茂義をはじめとする崇敬者により、新たな本殿・拝殿の建築。
現在の拝殿は慶長5年より400年の記念事業として平成13年4月に造営されました。












境 内

左 :御神石。拝殿左側にある石。境内には巨石が多数あるが、その中でも一番本殿に近く、大き
   な石であることから、触ると御利益のある石だといわれている。
中央:吉弘統幸公の墓。周りには仕えていた者達の墓もある。子孫をはじめ、縁のある者達、尊敬
   する者達、力を頂きたい者達が日常より参拝される。
右 :下馬の松。彼の忠節を後世に伝えるために、熊本城主細川侯により神殿(石祠)を建てその
   忠魂を祀り、墳墓のそばに一株の松を植えた。年を経て、老松が枝を垂れ、従来の旅人や参
   勤の諸公がこの墓前を馬で乗り越せば、必ず落馬のたたりがあるというので、下馬の松とい
   った。


















バナースペース

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